山形県

街中に佇む巨大な随神門をくぐると、そこは心落ち着く場所 山形・鳥海月山両所宮

営業車で山形市内をあちこち行き来していると、いつも気になっていた門があります。

「一体何の門やろう?」と不思議に思っていましたが、そこが神社であることが分かり、早速参拝することにしました。

そこで今回は、山形の鳥海月山両所宮をご紹介します。

鳥海月山両所宮の成り立ち

「鳥海月山両所宮」は、仙台市内から約2時間、国道13号線、山形県道172号線を経由した街中にあります。

仙台に赴任して、初めて山形県・鶴岡市に向かった際に、越えたのが「月山」。冬場は吹雪になり、凍結も頻繁に起こるため、取引先の社長から、「月山が凍る前に、早く帰った方がいいよ」とよく言われたものです。

また、「鳥海山」は、小学校の地理の時間に暗記して勉強した記憶があります。

さて、山形県観光協会のホームページでは、成り立ちに関して、このように記載されていました。

宮町の地名の起こりとなった、山形随一の大きさを誇る鳥海・月山両所の神社。源頼義と義家によって康平6年(1063)に創建されたと言われています。古くから「お宮様」と称され、北の総鎮守として尊崇されてきました。

縁起によると、康平6年(1063)正月、源頼義が阿倍貞任を征伐し、その戦捷のため、この地に両所宮を建立し、国家泰平・武門吉事の宮と称したといいます。

明治以前は、別当寺は成就院(560石)で、その輩下に社陣21人(129石)があり、別に天台三ヶ寺として、如法堂(68石)・護摩堂(85石)・内御堂(50石)が、両所宮に奉仕していました。

境内の金井の泉は、金井の庄の起源とされ、また、金売吉次の金洗いの井戸とも伝えられています。

本殿は最上義光時代に大修理が加えられたが、寛永年中に焼失し、享保年中に再建されたものということです。

入口の山門は、天明3年(1783)6月の建立になり、高荘な楼門で、現在は随神門と称され、また、境内の城輪神社は、桃山時代の建物です。

調べてみると、源頼義は、後に鎌倉幕府を開く、源頼朝の6代前の源氏の棟梁。5代前の棟梁で、頼義の子、八幡太郎義家とともに、前九年の役で、安倍氏を滅ぼします。その時に創建されたとなれば、歴史はおよそ1000年にもなるわけです。

ちなみに、御祭神は、山形県と秋田県にまたがる鳥海山(ちょうかいさん)と、出羽三山の一つの月山(がっさん)の両方の神様が祀られていることで有名。

鳥海山は、霊山として古くから信仰されてきた山で、神様は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)。月山は、日本でもトップクラスに有名な山岳信仰の場で、月読命(つくよみのみこと)が神様になります。

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いざ参拝へ

まずは、気になっていた随神門をくぐり、手水舎で手を清めます。

鳥居をくぐり、いつものように2礼2拍手1礼で、ただただ感謝の心で参拝します。心がすっと落ち着きますな。

さて、境内をぐるっと回ると、水が湧いている泉があります。口に含むと、冷たく、口当たりの良い柔らかさがすぐにわかる水で、その由緒を読むと、歴史を感じます。

東北の神社は、朝廷から派遣されてきた官軍からの勧請やら、勝利を祈願云々などがきっかけで、創建されることが多いなぁと感じます。

ただ、勿論そんな事とは無縁の神社も多くあるので、これからいろいろと探索してみようと思います。

近くに立ち寄られた際は、是非参拝してみてください。

鳥海月山両所宮
■住所:山形県山形市宮町3-8-41
■電話:023-623-0460

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