山形県

戦国時代の英雄 織田信長を御祭神とする 山形「建勲(たていさお)神社」

仙台に仕事で来ていた前職の先輩から、「昼から急遽仕事の予定が空いたので、一緒に行動できないかな?」とのお誘いが。

当然行きましょうと返事をしたところ、「山形に戦国時代の英雄 織田信長を祀った神社があるらしいで。せっかく東北に来たから、いっぺん一緒に行ってみないか」といわれ、早速2人で向かう事にしました。

私は元々歴史は得意な方ですが、名古屋以西の印象が強い織田信長と山形の神社の繋がりが良く分かりません。

そこで今回は、山形「建勲(たていさお)神社」をご紹介します。

「建勲(たていさお)神社」の成り立ちと御祭神

仙台市内から国道48号線を経由して約2時間、山形県天童市に「建勲(たていさお)神社」はあります。

山形特有のクルマがようやく通行できる程度の路地裏を通り抜け、木々に覆われた駐車場と思しき場所に車を停め、そこから徒歩で向かいます。

恐らく今日で梅雨が明けたのか、久々の青い空に、むせ返るような暑さ。夏はこうでなくっちゃいけません。来週から、ハーフラウンドにようやく勤しめそうです。

さて、石段を上り、神社に到着です。

ご神水で手口を清め、早速二礼二拝一礼でお参りです。

そっと本殿を覗くと、織田信長の肖像画が掲示されています。うん?教科書で見た肖像画と違い、かなりダンディで男前な雰囲気ですな。

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なぜ山形で織田信長が祀られているのか

先輩が「せっかく来たのだから、宮司さんに直接、由来などを聞いてみよう」と言われ、社務所に向かいます。「すんません」掛け声を出すと、奥から宮司さんが登場。

「何故、山形で織田信長が祀られている神社なんですか?」と質問。以下まとめました。

・天童織田家の歴史は、信長の次男・信雄を始祖とする。

・信長の死後、豊臣、徳川に仕えた織田家は、尾張、下野、大和、上野と国替えを余儀なくされ、紆余曲折があり、最後は天童に城を移して天童織田藩となる。

・明治維新の際、天童藩は官軍に味方をする。ただ、会津藩、庄内藩は奥羽列藩同盟の元、幕府方となり、し烈な攻防が繰り広げられる。最終的には官軍の勝利に終わる。

・その功績を称え、明治天皇から明治2年に「健織田社(たけしおりたのやしろ)」という神号が、続く明治3年に「建勲神(たけしいさおのかみ)」の神号が下賜され、日本で最初に舞鶴山に祀られることになった。

・戊辰戦争で亡くなった天童藩士も祀られている。

宮司さんは、「けんくんではなく、たていさお神社が正式名称。明治天皇からたていさおと下賜されているので、正式名称で呼んでほしい」と力説されていました。

確かに、天皇からの神号であるならば、正式名称で呼びましょう。

因みに、天童で将棋の駒を生産しているきかっけは、武士の副業からスタートしていったとのこと。

いつの時代も、生活費のねん出は、色々あるもんです。

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参拝してみて

掲示されているダンディーな織田信長の肖像画を撮影した写真の原紙は現在、存在しないとのこと。東京で保管されていたものの、残念ながら東京大空襲で焼失してしまいました。

また、この肖像画の写真も、建勲神社と天童織田家の位牌を管理している三宝寺、宮内庁の3拠点しかなく、非常に希少とのことでした。

う~ん、何やら今日は、かなり貴重な体験をしたようです。

織田信長公を祀る「建勲(たけいさお)神社」。

今後の神社参拝では、出来るだけ社務所に立ち寄り、色々なことを質問し、疑問を解消していきたいと思います。

ぜひ一度立ち寄って、参拝なさってみてください。

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建勲(たけいさお)神社
■住所:山形県天童市天童字城山1043
■電話番号:023-653-0289