宮城県

安徳天皇の遺品が眠る 平家落人伝説のお寺 宮城「定義如来西方寺」

仙台に仕事で来ていた先輩は、かなりのお寺マニア。その先輩から「安徳天皇の遺品が眠る寺があるらしいで」という情報を聴きます。

「まじですか?安徳天皇は壇ノ浦の戦いで、入水されたんじゃなかったんでしたっけ。どないしたら、遺品が壇ノ浦から、かなり遠い仙台の山奥に来たんですかね?」「それが不思議やなぁ。いっぺん行ってみるか」という事になり、この日もお寺巡りをすることになりました。

そこで今回は、安徳天皇の遺品が眠る「定義如来 西方寺」をご紹介します。

「定義如来西方寺」の門前町で有名な「定義どうふ」

仙台市内から、国道48号線を経由して約40分の所に「定義如来西方寺」はあります。

駐車場に車を停めて向かったのは、門前町の中でも有名な「定義どうふ」店。

ここで販売されている油揚げは、職場の同僚からも「機会があれば、一度食べてみぃ」と、かなりのおススメ一品です。早速、1枚130円の揚げたて油揚げを購入。

七味と醤油で味付けをして、一口食べると、何とも言えない芳醇な油の香りとシンプルな味に、なるほどと納得。油揚げに箸で穴をあけて、七味と醤油をさらに染み込ませて食べると、更に美味しい味に。

油揚げをここまで特化させたメニューは、西日本ではお目にかかったことがありません。

定義如来西方寺の成り立ち

定義如来西方寺の成り立ちは、平安時代後期にさかのぼります。

成り立ちの主人公は、平清盛の長男・平重盛の重臣であった平貞能。主人の重盛は、阿弥陀如来の宝軸を貞能に授けます。そして、長く後世に伝え、天皇をはじめ、平氏一族、世の人々の後世と自らの死後の菩提を弔うように伝えます。

平家が壇ノ浦で滅亡したのち、平貞能は、宇都宮朝綱を頼って源氏に投降。宇都宮朝綱は、自らが平氏の家人として在京していた際、貞能の配慮で東国に戻ることができた恩義から源頼朝に助命を嘆願します。

その結果、助命され、最終的に今の場所に隠れ住んだとされています。

因みに、定義という名前の訓読みは、さだよし。平貞能(さだよし)から由来しているもので、少しでも隠れ住んでいる状況の中で悟られたくない思いから、改名したとされます。

平貞能は、源頼朝が鎌倉幕府を開いた後の1198年に死去します。そこで貞能の従臣たちは、遺言通りに貞能公の墓上お堂を立て、如来様の宝軸を安置しました。

その後の1706年、早坂源兵衛により「極楽山西方寺」が創立したのが、切っ掛けですな。

山門、貞能堂、天皇塚へ

「定義どうふ」で腹ごしらえを済ませ、西方寺に向かうと、大きな山門が見えてきました。

かなり存在感のある山門は、昭和7年に建立され、入り口左右には、蜜迹金剛神(阿形)、那羅延金剛神(吽形)の金剛力士像が立ち、伽藍守護の役目を担っています。山形の神社で鳥海月山両所宮と同じくらい、立派な山門ですわ。

山門をくぐると、旧本堂である貞能堂がお出迎え。平家の家紋である蝶紋が、至る所で確認できます。

合掌し、参拝したのち、階段を数段登り、お堂の中に入ると、そこは少し空気感が変わります。六角堂という、少し風変わりなそのお堂は、小さいながらも写経ができるスペースがあり、外観からは想像もできないほどのゆったりしたスペースと、高い天井が開放感を高めています。このお堂の下に、平貞能のお墓があります。

参拝後は、貞能堂の裏手にある天皇塚へ。

平貞能が安徳天皇の遺品を埋めたとされる同場所には、元々2本の欅が植えられていたものの、絡み合って1本の欅となった「連理のけやき」があり、神木として祀られています。

天皇の遺品が埋められた場所に「塚」というのは、何とも不遜な響きですが、その由来はよくわかりません。

ただ、一つ言える事。それは、周囲の静けさと、森の木々の騒めきは、当時も今も大きく変わることなく、連綿と続いています。

政治の中枢から追い落とされ、都からかなり遠い宮城の山奥で、主君や天皇の菩提を弔った平貞能の思いは、いかばかりか、想像に難くはありませんなぁ。人生、色々あります。単身赴任で悩むなんて、何とまぁ、ちっぽけに思えてしまいますわ。

宮城仙台の山奥で、平家の魂を感じることが出来ます。一度参拝なさってみてください。

なお、現在の豪華な本堂、そして五重塔は後に建立されたことから、正直、歴史を感じるには程遠かったため、割愛します。

定義如来西方寺
■住所:宮城県仙台市青葉区大倉上下1
■電話番号:022-393-2011